okku's diary

Jリーグ・大宮アルディージャ・読書・読書会について書くブログ

今だからこそ日本のサッカーファンは読んでみよう 『ぼくのプレミア・ライフ』ニック・ホーンビィ

サッカーについての本、というと大別すると以下のような本が大半を占めているのではないだろうか。

①選手・監督・チームに焦点を当てた本(自伝など)

②戦術解説本

③サッカー実用書…テクニックやコーチングなどを学ぶ本

④社会派…サッカー界の特定のトピック・事件を扱った本

何らかの統計を参照したわけではないが、本屋に並ぶサッカー本のほとんどは上に属するものだと思っている。

4番目の社会派、というのが少々イメージしづらいかもしれない。私の中でイメージしているのはこんな本になる。(『オシムの言葉』の著者で知られている)木村元彦さんが書いた我那覇和樹のドーピング冤罪を追った『争うは本意ならねど』やタイトル獲得という栄光から一転資金繰りに窮してしまった大分トリニータとその”騒動”の中心にいた溝畑宏を追った『爆走社長の天国と地獄』(3年前に感想を書きました)、東ヨーロッパのサッカー界事情をルポした長束恭行さんの『東欧サッカークロニクル』、日本各地のJリーグ”未満”の下部リーグチームを取材した宇都宮徹壱さんの『サッカーおくのほそ道』…。

 こうしてみると、実に多種多様なサッカーについて書かれた本があるように思えるが、サポーターについて書かれた本となるとそれほど多くはない。しかもサポーター自身が自分達とサッカーについて深く立ち入って書いた本となると日本で目にする機会はあまりないのではないだろうか。

 『ぼくのプレミア・ライフ』(原題:FEVER PITCH)はサポーター自身によって書かれたサポーターとフットボール文化を考察した本である。 

著者のニック・ホーンビィはイギリスの小説家・脚本家(代表作に『ハイ・フィデリティ』 アバウト・ア・ボーイ』等)。そしてアーセナルの熱烈なサポーターである。

本書はアーセナルサポーターの視点からこれまでの人生とフットボールライフを振り返るエッセイだ。これはアーセナルを知る者でないと楽しめないの本なのだろうか?違うと思う。ではイングランドフットボールに関心がある人でないと楽しめないのだろうか?違うと思う。ではではサッカーファンではないと楽しめないのだろうか?…おそらく違うと思う。

この本にはサッカーファンなら、そしてスポーツファンなら共感できる点・唸る考察が所々にある。アーセナルイングランドフットボールとホーンビィの人生…という一見狭い視点を通しながら、そこで語られる内容には普遍性があるのだ。イギリスで100万部を突破したのも納得である。 

ぼくのプレミアライフ フィーバーピッチ [DVD]

ぼくのプレミアライフ フィーバーピッチ [DVD]

  • 発売日: 2004/10/20
  • メディア: DVD
 

 (本作品は映画化もされている) 

 

本書は現在新刊の入手ができないようだ(私も2年ほど前に中古で入手)。しかしこれには仕方のない部分があると思う。出版当時は今よりも日本のフットボール文化・スポーツ文化は未熟であった事が新たに刷られていない一因ではないかと考えている。本書がイギリスで出版されたのは1992年、邦訳が出版されたのは2000年。2000年といえばJリーグは開幕からまだ10年も経過しておらず、J2に至っては開始からようやく2年が経過した時代だ。今と比較するとまずチーム数もサポーターの数も大分少ない。サポーターの年季だってこの20年分の積み重ねは決して小さくない。進学・就職・家庭…ホーンビィのように人生の様々なシーンとサッカーが交錯する体験がこの20年でどれだけ生まれたことだろうか。この本のよき読者となる人々は20年前よりもずっと多いはずだ。

またイングランドのサッカーについて知る者の数も2000年と2020年では違うはずだ。欧州サッカーの視聴環境の変化、イングランドのサッカーを知るきっかけの増加―気にかけている選手(主に日本人)のイングランドへの移籍など―により特に力を入れてイングランドのサッカーを知ろうとした人でなくとも、そこそこの事は知っている層が20年前に比べれば厚くなっていると思う。”そこそこ知っている”レベルのことであっても、それを知っているか知らないかで本書の読みやすさはかなり変わってくるはずだ。例えば…イングランドにはどんなチームがあるのか、そのチームのホームタウンはどこか、そのチームのホームスタジアムはどこか…といった事を知っているだけでも結構読みやすくなる。本書はこういった知識がなければ読めない本ではないし楽しめない本というものではないが、読むハードルが下がるのは間違いない。

サッカークラブを愛し、クラブと共に人生を歩む人々の拡大。イングランドサッカーの知識の伝播。この二つの状況が20年前よりも大きな潜在的な読者層を生んでいるのではないだろうか。この本を再び販売することの意義は小さくないと思っている。

本書出版以降にサッカーファンになった者―特に2010年代からのファン―は本書の存在自体を知らない者も少なくないと思う。本書で扱われる年代は60年代後半~90年代初頭だが、そのことは今日のサッカーファンが読むことへのさしたる障害にはならないはずだ。現に私自身がこの年代のサッカーシーンはよく知らなかった。例えば選手はガスコインギグスといった90年代にプレイしていたごく少数の有名選手を除けば耳にしたこともない者だったが、そのことは読むことに高い忍耐や苦労を要求するものにはならなかった。この時代のイングランドアーセナルのことなんて知らないし…という理由で本書を未読にしておくのはサッカーファンにとっては勿体ないことだと思う。きっとここにはサポーターであるあなたの事・サポーターであるあなたが何をしているのかをより理解するための言葉があるはずだ。

今はまだ中古で入手できるとはいえ、いつまでもこの状況が続くとは限らない。また書店に置かれることによって人と本の出会いが起こる機会も多くなる。再び刷られ各地の書店で手に取れるようになることを望みたい。

そして"Ferver Pitch"は、ファンであることについての本でもある。フットボールを心から愛している人の書いた本なら、何冊も読んできた。だがこの本はそういう本ではない。また、もっといい言葉があればいいのだが、いわゆるフーリガンと呼ばれる人の書いた本も読んできた。けれど、毎年ゲームを見に行く数百万人の観客の九十五パーセントは、これまでに他人を殴ったことさえない人々だろう。これは、ぼくらのための本だ。そして、ぼくらはどんなふうに生きているんだろう、と興味を持ってくれた人のための本だ。記されているのはぼくの個人的体験だが、フットボールの好きな人なら、思いあたるふしがあるのではないだろうか。とくに、仕事や映画や会話の最中、ふと気づくと、十年や十五年や二十五年は前の、ゴール右隅へ飛びこんでいく左足からのボレーを思い出しているような人なら。

 (日本語版P11より)

 

 

以上で本書の紹介はひとまず終わり。以下では本書について個人的に語りたい部分をいくつか語っていく。

a.何を見るためにスタジアムへ来るのか

本書序盤(p111『卒業の日』)にホームスタジアムでの観戦場所を児童用観覧席からゴール裏に移した時の心情を振り返っている箇所がある。ゴール裏デビューの体験記だ。そこでゴール裏の人間たちがスタジアムにもたらしている事について記述した箇所が印象に残った。当時(プレミアリーグ開幕直前)はチケット代の値上げ・立見席の廃止など、スタジアム環境を変える試みが行われている真っ只中(値上げについては今も続いていることではあるらしいが)。こうした施策によりスタジアムの雰囲気が変わることをホーンビィは危惧していた。

ホーンビィの論旨はこうだ。なぜ高いチケット代を払ってゆったりとした席でサッカーを見たいと思う人がいるのか? それは選手だけでなくゴール裏等で絶えず声を上げ応援をする人々の姿も見たいからなのではないか、チケット代を上げる事でそれまでゴール裏に集っていた人間がいなくなりスタジアムの雰囲気が失われてしまうと、高いチケットを払って観戦したいと思う者もいなくなってしまうのではないか…というものだ。

現在のプレミアリーグは観客数やその収益において世界の数多あるリーグの中でトップクラスのリーグとなっている。これは成功した改革であるというのが一般的な見方だろう。プレミア以前のイングランドサッカー界は本書でも書かれているようにスタジアムの老朽化や暴力による死傷リスクが今よりもずっと高い世界だったのだから(その極地が『ヒルズボロの悲劇』)。とはいえホーンビィが危惧していたチケット代高騰の問題は今でも議論の的になっている(下記は参考リンク)。

私もスタジアムに行く理由はそこにピッチへエネルギーを注ぐ人々が集っているからだ。スタジアムで人々が見せる顔は皆違っていて面白い。どんな状況でも声を出し続ける人・多少の事では動じずにじっとピッチを見つめる人・友達や家族と談笑しながらゆったりと見る人・相手選手がちょっとけでも”いけすかない”プレーをすればすぐさまヤジで応戦する人・セットプレーの時などに必ず「大宮!セカンド!」(おそらくセカンドボールを奪い取れ!の意)と叫ぶ人…。ピッチで繰り広げられている事への解釈だってバラバラだ。このプレーが良かった・悪かった、今はいい流れだ・まずい流れだ、これからどんなプレー見せてほしいか…永遠に一致することは望めないような領域だ。

でもそんな”バラバラ”な人々が一体となり巨大なエネルギーを生む瞬間がある。ゴールだ。得点の瞬間バラバラな人々は一体となり喜び・声を上げる。これが面白い。この瞬間に生まれる集団の力は日常生活では中々ないものだ。この集団の中にいる事、この集団を見る事、これがスタジアム体験の醍醐味であり時間と空間を超えてどこのスタジアムでも起こりうる普遍的体験なのだ。

(ちなみに得点は…先制・同点・勝ち越し・劣勢時の得点であればなおよし)

 

b.エンターテイメントとフットボールの違い

ここがフットボールとエンターテイメントの違うところだろう。高いチケットを買いながらスターが出てこないことを願う演劇ファンなんて、この世にいるだろうか。

 

(日本語版p210より)

上記はアーセナルとの試合でガスコインが見せたフリーキックをこれまで見た中で最高のゴールだと認める一方で、このゴールは決まってほしくなかったばかりか、できる事ならプレイすらもしてほしくなかった…、と述べている箇所より。

これには自分も思い当たる節がある。2017年に神戸でルーカス・ポドルスキのゴールを決められた時のことだ。ちなみにこの日は彼の日本でのデビュー戦だった。

このゴールは今まで生で見たことのないレベルのものだった。この小さな振りからここまでの速度とコースのシュートを放たれるのは本当に予想外で、その実力に驚いたことをよく覚えている。

一方でホーンビィのように「決めてほしくなかった」という気持ちがあったのも事実だ。この日一番見たかったのは…日本デビューを果たしたポドルスキを抑え込み、下馬評を覆してアルディージャが勝利する姿。そしてスタジアムの大多数を占める神戸サポーターとポドルスキのプレイを楽しみにしていた人々を沈黙させることであった。 

ちなみにこの試合は注目の一戦ということもあり、神戸が攻め込む側のゴールネット裏にはカメラマンがずらり…一方アルディージャ側には最低限の数しかおらず、その差は歴然であった。カメラマン達と全く真逆の事を願うのに時間はいらなかった。私はこの日見た他のアルディージャサポーターのツイートをよく覚えている…。

 

 c.フットボールによって僕らは思い出してもらえる

どこかの誰かが何かから自由な連想を始め―(中略)―その連想の行きつく先が君だったりすることはあるかもしれないが、それがいつ起きるかは誰にもわからない。少しも予測がつかないし、起きたとしても偶然でしかない。しかしフットボールに関して言えば、それは必然だ。 

 

(日本語版p307より)

ここから続く一節は本書の中で特に感銘を受けた箇所だ。ある人の中でサッカークラブとそれを応援する誰かが結びついていれば、サッカークラブに起きた出来事を見聞きするたびにその人の事も連想して思い出されるのだ。優勝・降格・驚くべき事件(もちろんこれには良い出来事も悪い出来事も含まれる)…ニュースやお喋りでそういったことを聞くとふと思い出してもらえる。悲しんだり喜んだりしてもらえる。それがサポーターであるということの一面なのだ。

 

d.ヘイゼルの悲劇ヒルズボロの悲劇、そして当時のイングランドフットボールについて

本書は決してフットボール文化を無条件に礼賛している本ではない。80年代の悲惨な事件についての記述は決して少なくない。ヘイゼルの悲劇ヒルズボロの悲劇が起きた日の事、そしてこの悲劇に根深く絡んでいるイングランドフットボール界の様々な事象についての分析…。当時のイングランドフットボール界の事情を知ることのできる貴重な見解も本書の見どころの一つであろう。

 

 

ホーンビィの2017年のインタビュー。こんなタイトルの記事だが今でもホームゲームには全て通っているとのこと(子供たちが熱烈なサポーターでなければ毎試合は行っていないだろう、とも語っているが)。

 

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