okku's diary

Jリーグ・大宮アルディージャ・読書・読書会について書くブログ

【本の感想】『爆走社長の天国と地獄』はあなたにプロサッカークラブの存在意義を問う

有名選手や人気チームを取り上げたよくあるスポーツジャンルの本ではない。そこに登場するアスリートもチームも決して世間に広く知られ、多くの注目を集める(集めていた)存在ではない。だがこの大分トリニータというJクラブと溝畑宏という人物が歩んできた道のりについて書かれたこの本には、Jリーグもサッカーもスポーツにも興味のない人々も思わず引き込まれてしまう魅力があるのではないかと思う。そんな風に思うほど一気に読み終えてしまうほどのおもしろさを感じ、多くのことを考えさせられる本だった。

書名は「 爆走社長の天国と地獄 :大分トリニータv.s.溝畑宏

 

 

 本書は大分トリニータと事実上のクラブの創設者であり長年クラブの経営の舵取りを行ってきた溝畑宏氏について2010年に書かれた「社長・溝畑宏の天国と地獄 」の増補版にあたる。94年のチーム創設から、2008年のJリーグ三大タイトルの一角であるナビスコカップ(現ルヴァンカップ)の優勝、そして翌2009年の経営破綻までを追いながら、主に経営の面でこの間にクラブに何が起こっていたのかが書かれている。増補版にあたる本書では2010年以降のクラブのその後などについても加筆されている。

 

この本はスポーツに興味のない人も引き込まれてしまうのではないか、と書いた理由の一つは、クラブの創設から発展に至るまでの強烈なエピソードの数々にある。09年までにもチーム存続に関わるレベルの経営の危機はいくつも起こっていた。だが、経営危機となるたびに溝畑氏の驚異的な営業力と幸運により新たにクラブを支援するスポンサーを見つけ(それもほとんどが大分県外の企業)、経営危機を回避しトリニータが更なるステージへ進んでいく過程はまるで漫画や映画のようだ。親会社を持たないクラブであるトリニータではユニフォームの胸のスポンサーが最大のスポンサーである。その胸スポンサー企業と経営者たちも個性的なキャラだらけ。彼らは広告効果というより、溝畑氏が語る夢やビジョンに共感しトリニータへの支援を決めていった。*1

溝畑氏が語る夢に魅せられ集まってきた人々と共に、ないないだらけだったチームが発展を遂げ、遂に08年にはナビスコカップ優勝を達成する…。この本を読むとここまでのストーリーに当時少なくない注目が集まったという理由がよく分かる。多分本当に漫画化や映画化をしてもおもしろいと思う。

だが09年の経営危機は回避できず、最終的にJリーグから金を借りることになりトリニータは多額の借金を背負うこととなってしまった。

 

誰からも求められていないチームだった

本書を読むにあたって注目するポイントはいくつもあると思うが、私はこの本が地域密着型のプロサッカークラブが存在する意義とは何なのかを考えるきっかけになってほしいと思う。

本書を読んでいて最も胸が熱くなったのは、かつてまったくトリニータに見向きもしなかった人々、チームの存在そのものに懐疑的な人々が、トリニータを愛するファンになり、サポーターとなっていく過程だ。「地に足」なんてまったくついていないギリギリの綱渡りを乗り越えてきたクラブが徐々に人々から愛され、「大分のチーム」に段々となっていく様子にはいちサッカーファンとして、他のJクラブのサポーターとしてとても熱い気持ちになった。

大分トリニータはそもそも誰からも求められてすらいない存在だった。このクラブは元々「Jリーグに参加して町おこしを!」という目的で作られたものですらない。元をたどれば02年のワールドカップの開催地の招致活動を行うためにサッカーチームが必要だったため創設されたチームである。そのワールドカップの大分での開催自体反対の声が大きかったそうだ。地元紙の大分合同新聞世論調査ではなんと8割が開催に反対したという結果が本書で紹介されている。それでは招致活動は行政主導で行われたものなのかというと、そういうわけでもない。主に動いていたのは溝畑氏だったという。旧自治省から大分県庁にやってきた官僚である溝畑氏はワールドカップの魅力を知り大分での開催を実現しようと奔走し当時の大分県知事を巻き込むことに成功したものの、クラブチームの母体となるチームを呼ぶことができなかったためゼロからクラブを作ることとなった。ないのはクラブだけではなかった。チームがなければ練習場所などの設備もない。そしてクラブを支えるサポーターもいない。ゼロからのスタートであるクラブでありまた地元の経済界からも求められた存在ではないため確実に支援を約束してくれるスポンサーや多額の支援を行ってくれる大きなスポンサーもいない。

多くのJリーグのクラブを見ると、元々企業チームが母体であるため親会社となる企業から支援が望めるとか、企業チームではなくてもアマチュアクラブとして活動していたチームが前身であるとか、サッカーに対して熱心な土地柄であるためサポーターとなり得る人々が沢山がいるとか、元々熱心な土地柄でなくともJクラブ設立を求める署名運動が起こったとか、そういった要素が何かしらあるものなのだが…。

 そんな状況から立ち上げたチームがJ1にまで辿り着きタイトルを獲得したことは確かにとてもすごいことなのだが、それと同等以上にすごいと思うのは何もなくほとんどの人からJクラブそのものを求められてはいないところから、多くの人から愛され関心を持たれるチームとなったということだと私は思う。地域に一体感をもたらし地域の人々にとってアイデンティティとなる存在はプロスポーツチーム以外に他にどれほどあるだろうか?そして様々なスポーツの中でも、参入の自由度、人々からの注目度、そして頂点である世界との距離の近さを考えた時、日本ではJリーグ以上に地域を豊かにするスポーツが存在するであろうか?(プロ野球は人気は十二分にあるが参入が容易ではない。将来的にはBリーグがJに並ぶ存在となるかもしれないが…)*2

 

プロサッカークラブの存在意義とは何か

前述の通り、大分にはプロサッカークラブを運営していくためのあらゆるものが足りない。特にスポンサーからの支援はJ1で闘うことを目指すクラブとしては脆弱で*3資金力不足は常に問題となっていた。そうなると、ただ定石通りに動くだけではJ1では闘えない。いわゆる「身の丈経営」ではなく、高い目標を掲げ、リスクを負って多額の予算を組み魅力的なチームとなるためにお金をかけなければ、スポンサー企業にこのチームに多額の資金を投じて支援する価値があると思わせることは難しかった(県内だけの営業では限界を感じ県外にまで営業をしていたのであればなおさらだ)。元々の環境面を考えればプロサッカークラブを立ち上げそれを持続させること自体、どこかで無理をすることは半ば必然だったのではないかと思う。そして更にそこからJ1で一定程度闘えるチームを作ろうとすればどれほどの綱渡りを行わなければならないのか…。09年より前にクラブの経営が行き詰まらなかったのは本当に奇跡だとつくづく思わされる。

 著者は溝畑氏のクラブ経営に対する様々な問題点を指摘する一方で、安易な「身の丈」論にも警鐘を鳴らす。

私には溝畑の功と罪をしっかりと腑分けしなければいけないという思いがあった。なぜならば、今再び「身の丈論」という真っ当な笠に隠れて、何の努力もしない空気を地方のチームに感じているからである。かつてトリニータに対して身体も動かさず、カネも出さなかった人たちが、ここぞとばかりに溝畑を攻撃するのを見ているのは痛ましい。 (中略) もしも、その「身の丈論」において、地方を元気にしたい、日本を元気にしたいという尊い志までもが否定されるならば、今後自らがリスクを冒して何かを成し遂げようとする人間は出てこなくなる。 (中略) それは今の日本全体を覆っている閉塞感をますます助長することになるだろう。 -あとがきより

夢も語らず赤字回避こそを第一の美徳とするのなら、プロサッカークラブなどハナから作らない方が良い。 (中略) 新書化を考えた大きな理由はJリーグと地方クラブのあり方について今一度書き残しておきたかったことが大きい。クラブライセンス制度移行、クラブの本質や価値を帳簿の上だけで評価しようとする風潮に私は大きな危惧を感じる。サッカークラブにおいて、債務超過は恥ではあるが、絶対悪ではない。 ー新書版あとがきより

これはおそらく本書でもっとも議論が分かれるところの一つだろう。サッカークラブの経営について、黒字経営を目指すことや経営上のリスクを低くすることそのものには大きく反対する人はいないだろう。しかし、そもそもなぜサッカークラブを運営するのか?一体クラブは何を、どんなところを目指しているのか?ということを考えた時に、赤字覚悟で勝負に出るべき時は確かに来るのかもしれない。常に最適解が「身の丈」の投資であるとは限らない。

果たしてあなたはサッカークラブにどんな価値を見出しているのだろうか?

もしJクラブによる町おこしのゴールを、常にJ1で優勝争いに加わるクラブを作ることとするならば、それに見合うだけの資金を毎年用意する必要があるだろう。そのためにはスポンサーを集め、入場料やグッズ販売による収益を高め、後援会の規模を拡大させるなど、文字にするのは簡単だが資金面のやくくりを考えただけでも並大抵ではない様々な努力が必要だ。

もしJ1で優勝争いすることを目標とするわけではなくJ1・J2・J3のいずれかのステージで戦い続けることに意義を見出したのならば、「身の丈」の経営でも目標を達成できる可能性は十分にある。私はJ2であっても、よく多くのJクラブが掲げている「子供たちに夢を!」「夢・感動を届ける」といった目標は十分達成可能ではないかと思う。*4

どこのリーグであっても、何部に所属していようとも、応援するチームを見つけ、その勝利をスタジアムで、あるいはディスプレイの前で目にすることの喜びと楽しさは変わらないだろう。Jクラブの舵取りをする側もサポーターも地域の住民も目標が合致した結果、J2規模の予算でチームは戦い続け、J1昇格を決して優先度の高い目標としない…というJクラブのあり方もあると思う。とはいえ、現実にはトリニータが直面したようにJ1昇格などの何かしらの高い目標を掲げないと、支援を集めるのは大変という状況は多くの地域で共通するのではないかと思うが…。

Jクラブに限らずどんなスポーツチームも目標がなければ頑張ることはできないし(そもそも目指す場所がないのだから)、サポーターもスポンサーも何の期待も抱かないものにはついてはこない。だが、周りがクラブについて多くのことを知らず、クラブの現在地からはあまりに離れた期待を勝手に抱き、そして期待通りにいかず落胆したりクラブを非難するようなことがあっては、クラブにとってもその人にとっても互いに不幸なだけだろう。

サッカークラブの価値・サッカークラブが目指すところとは何かを考え、そして目指すべきところへ向かって、現在地からどのような方法で、どのような段階を経て進んでいくのか。サッカークラブの価値とクラブが進めべき道について様々な人が考えてそれをすり合わせ、そしてそれをサポーター・スポンサー・地域のステークホルダーと共有する。そうしたことをJクラブに関わる人々はしていかなければならないのではないだろうか。個人的にはクラブの予算・戦力事情をよく知るサポーターには、昇格できないこと・降格に関して安易な批判をする人に対して、うまく上記のことを伝えてほしいと思う。クラブのことをよく知る人を増やすこともまた、チームの強化につながるのではないだろうか。

 

プロスポーツJリーグ・そして帯文にもあるが、地方創生について考える際に、是非一度読んでほしい一冊だと思った。冒頭にも書いたように、強烈なエピソードの数々を読むことだけでも楽しいので是非読んでみてください。おすすめです。

 

www.hanmoto.com

 

*1:ただし09年までの歴代の胸スポンサーは1社を除き行政処分を受けたことない企業はないことは明記しておく。詳しくは本書を読んでほしいが、溝畑氏に共感し多額の支援を行った経営者たちはいわゆるワンマンタイプの経営者が多かったことも一因ではないかと思われる

*2:ちなみに私はJクラブがもたらす地域への経済効果・そしてJクラブがその地域が誇る象徴となり地域を盛りげることができる力があるということを考えると、これは公益性のあるものと判断して、自治体からある程度の支援はあってもよいと思う。支援にかけた金額以上のものをそのチームが地域もたらすと考えられるのであれば、十分よいのではないだろうか。もし目標の達成のために民間の力だけでは難しい部分があるならば、の話ではあるが。最初から自治体の支援に期待を持ちすぎて、最低限の努力も行われなくなってしまうこともこわい。

*3:これは大分という地域の経済力だけが原因ではなく、溝畑氏という人物を様々な要因から嫌う者が多くいたことや、溝畑氏が当時の大分県知事である平松氏から支援を受けたことで平松氏へ好意的スタンスではない者達からトリニータ=平松氏の取り組みと考えられ、彼らから冷淡な扱いを受けてしまったことも地元政財界からの支援が弱かった要因として著者は指摘している

*4:J2であればJ1に比べればまだ大きな予算を用意しなくとも可能であること、一方でリーグ全体を見渡せば観客動員数はそれなりにあり(一部にはJ1クラブに匹敵するほどの観客動員力を誇るクラブも存在する)、かつて代表・J1で活躍していた有名選手の獲得や(当然J1に比べれば難しいものの)注目の外国籍プレイヤーを獲得することでチームへの関心度を高めることもできる。なにより現在のJ2では6位からでもJ1昇格の切符を掴める可能性があるため、資金面を考えた時に厳しいチームであっても、サポーターや地域の住民に向けてJ1昇格という期待を抱かせることはできる。例えチーム自体の成績がいまいちでも、そこで育ち活躍した選手がJ1チームに移籍し、代表や欧州の舞台まで上り詰めていく過程を見守るという楽しみ方もできる。育成クラブとしての楽しみ方だ。雑多に書いてしまったが、要はJ2という舞台にもその舞台なりの楽しみ方というものが沢山あると言いたかった。